激しい戦火の痕跡

葛井寺は名応2(1493)年に畠山家の内紛に端を発した兵火にあい楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなりました。その時の戦火の痕跡がこの松です。

今回の阿弥陀堂再建の発掘調査により土中より発見されました。当時の激しさを物語っています。